見えない

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僕の部屋には、何かがいる。
気配がするし、駆け回る足音も聞こえる。薄気味悪い声を上げ、汚い手跡を壁中につけたりもする。
けれど、僕にはその正体が見えない。
(一体、何なんだ。)
感じるのに見ることのできない苛立ちと、正体不明のものに対する恐怖が心に募っていった。
ある日、僕は気がついた。
初めは床に虫が這っているのだとばかり思っていたが、それは間違いで、そこにあったのは紛れもない人間の足指だった。
ぎょっとしたが、この足指の持ち主が、あの正体不明のものだと確信すると、なにやら嬉しくもあった。
僕の途切れぬ視線をよそに、足指は自由に動いていく。
(お前の正体を必ず暴いてやるからな。)
漏れ出しそうになる笑いを必死でこらえた。
その日を境に、足首、ふくらはぎ、膝、腿、尻……と、正体不明の全身が徐々に現れ始めた。
現れた身体をよくよく見ると、相手はどうも大人であるらしい。痩せぎすって筋張った男。固まったように背中は丸まり、背骨が魚の背びれのように突出している。
こんなにも不気味なのに、僕はもうその姿に慣れてしまっていた。それどころか、観察を楽しんでさえいた。
残るは頭部だけとなった時、思いもよらないことが起こった。
相手は、いつものように声にならない声をあげながら部屋中を徘徊していた。
ピンポーン
チャイムが鳴った。二回、三回、しつこいくらいに鳴り響いた。
部屋の隅っこに座り込んでいた僕は渋々立ち上がると、玄関扉のドアスコープを覗き込んだ。が、扉の向こうには誰もいなかった。
たちの悪いいたずらか。とりあえず外を確認しようと、扉を開けた。
「ぎゃっ!」
途端に、何かが僕の目を射た。本当に射たのかどうかは分からないが、突き刺すような強烈な痛みが、脳天を突き抜けて全身を駆け巡った。それから、眼球を抉り取られるような感覚がして、顔中が燃えるように熱くなった。
もつれる足で部屋へ戻ると、僕はその場に倒れこんだ。情けなくうめくそのそばで、数人の笑い声と生臭い息が荒く漏れていた。
「おまえは、ばかだなぁ」
しゅー、しゅーという、呼吸と呼吸の間に混じってそんな声が聞こえた。にやにや、笑っているような、いやらしい声。
でも、僕には何も見えない。

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