ほとり

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「これは水面でございます」
かすれた声で天女が言う。覗けば水面がゆらゆらと揺れ、太陽の光を散らしている。
「では、あれはなんですか?」
私はなんとなく気になったものを指さして問う。指の先にはうすぼんやりと霞む線が見えた。
「あれは、ほとりです」
にこりと微笑み天女は言う。
「ほとり……」
なんのとは聞かず、私は心の中で何度もその言葉を繰り返した。

てん、てん、てん。
響く足音に目を覚ますと、まだ真夜中だった。
格子のはめられた窓の隙間から、外の様子を窺うと、子供が一人走っていくのが見えた。
(こんな真夜中に……)
また、子供が走っていった。また……。
私は不思議に思った。けれど、なにも確かめようとはしなかった。ただ、子供らがあのほとりに向かって走っていくのをじっと見ていた。
てん、てん、てん。
足音は夜明け近くまで鳴っていた。

寝床から起きあがり、見たことを天女に話した。すると、天女は優しい声で答えた。
「子供は、ほとりに行くのです」
「なぜ?」
「よい所だからです」
「お前は行ったことがあるのか」
私がそう問うと、天女はいいえと首を振った。
「けれど、誰一人、ここには戻ってきませんもの」
だからきっとよい所なのだと言い、天女は笑った。それ以上は何も言わなかった。
「この世に無条件によい場所などあるのだろうか」
「まあ……」
ぼんやりと呟いた私の顔を見つめると、天女は猫のように目を細めて、
「ありますわよ、きっと」
鈴のような笑い声は、鳥のさえずりと重なり消えた。信じればここも「よい場所」なのだと思った。

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